アレ

アレです

アニメの影響と妄想教

「現実と妄想を混同してはならない。現実は妄想と比べて取るに足らない」

 

 最近は色々と規制を強めることが正義という風潮が強くなってきたな。

 いわく、アニメや漫画、ゲームなどの不適切な表現は、青少年の育成に悪影響を及ぼすうんぬん。

 俺にとっては「不適切な表現」が何に対して不適切であるのかとか、「青少年への悪影響」がなにを基準にして悪と断じているのかと、規制論者と問答をしてみたいものだと思っているが、価値観が相違しすぎている者同士では、話は通じないだろう。

 

 さて、アニメや漫画が及ぼす影響というのは、やはり一番最初に思いつくのは、それを模倣、すなわち真似をすることだろう。

 つまり、アニメや漫画で行われている暴力表現や性的描写を現実世界で行ってしまう人々を増やすかもしれない、というのを危惧しているのだろう。

 暴力、レイプなどの犯罪行為を描写してしまうのは、真似をする者が出るので規制するべきだ、という論。

 この論そのものに対して、俺は自信を持って「否」とは断じることができない。

 

 なにせ二次元主義者なもので、二次元の持つ力というのは確かに実感している。

 好きなアニメの好きなキャラによって、勇気付けられたこともあったし、食べ物の好き嫌いも激減した。

 それに俺が今、この現実で絶望せずに生きていられるのは、アニメや漫画などの二次元のおかげであるというのは確かだ。

 それが悪い方向にも作用するかもしれないという可能性は、十分にある。

 

 そこで、俺は妄想教を広めることで、一つの解決策として提示したい。

 

<妄想教とは?>

 妄想教とは、簡単に言えば「現実への執着を捨て、己の妄想を信仰し、妄想することで己の欲を満たす」というものだ。

 例えば、現実に即せば犯罪行為なのだが、魅力のある物語というのはよくある。

 某怪盗が珍品を盗み出したり、黒衣の医者が無免許で法外な値段をふっかけ手術したり、麦藁帽子を被った海賊の一味が各所で暴力沙汰を起こしたり。

 それに憧れを抱く者はやはりいることだろう。俺だってそうだ。

 だが現実ではそれは許されない。まず法が許さないし、世間様も許さない。

 なら、もうその憧れを実現するには妄想する以外にほかは無い。

 

 子供の頃に正義のヒーローになりきったりするごっこ遊びの延長だ。

 理想の自分を妄想し、理想の物語を妄想し、妄想によって自分の欲を満たす。

 自分の願望を叶えられない現実になんか唾を吐いて、自分の願望を叶えられる妄想こそ真理だと信仰する。己が妄想こそが神であると。

 

 方法はいくらでもある。絵が上手い、練習がしたいなら漫画を描いて妄想を実体化させればいい。画力がないなら自分なりに言葉を並べて、妄想小説でも書けば良い。

 別に誰に見せるでもない。自分の欲を満たすためだけの、自分のための創作物。

 自分が築き上げた妄想世界を肯定することで、ようやっと人は現実の苦しみからの逃げ場を確保できるのだ。

 

 そして俺はそれを実践している。この糞を垂れる価値も無い現実世界で、妄想に浸り、そして満たされている。

 妄想は誰も傷つけないし、妄想は自分を幸福にする。

 だからこそ、妄想教教徒であることが、現実に危害を与えないことへの主張となれば、それが一番良いと思う。

 

 束縛多き現実にうんざりしているそこの君、ぜひともこの妄想教に沿って妄想してみてはいかがだろうか。

 君の妄想は常に、君を受け入れる準備をしているはずだ。